タイのデモ。赤シャツと黄シャツができた理由と背景。

タイのこと
セントラルワールドもテロの残党に焼かれたんですよね。画像:wikiより

お盆休みもピークを迎えるのかな?地元近くの東名高速道路は、毎年のように渋滞が激しくなっています。といっても、タイの渋滞とは種類が違いますけど。
さて、今日はタイで起きたデモに関する基礎知識をまとめたいと思います。ここ約10年、赤シャツや黄シャツと呼ばれるデモが、タイでどのような流れで起きたのか。また、現在はどのようになっているのか。あまり、深く掘り下げて書くことはできませんが、今後のタイはどうなるのかを予測しやすくなる基礎知識になればと。まだまだ、タイで何かが起こりそうな予感がします。

セントラルワールドもテロの残党に焼かれたんですよね。画像:wikiより
セントラルワールドもテロの残党に焼かれたんですよね。画像:wikiより
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2006年タイの軍事クーデター

ここ10年間に起きたデモの発端は、2006年に起きた軍事クーデターになります。
当時、政権を握っていたタクシン元首相が、国連総会に出席する為にニューヨーク訪問中に起きました。このクーデターの背景には、タクシン元首相による「ばらまき政策」による富裕層・中間所得層には厳しく地方低所得者には手厚くしたことによる、インテリ層・富裕層・中間所得層の反発。それと、親族による株式インサイダー取引疑惑による政治不信によるものが大きかったようです。ちなみに、現在でもタクシン元首相はタイの富豪ベスト10に入ってますが、このクーデター以降はタイに戻ってきてません。

このクーデターがきっかけで、タクシン首相派(赤シャツ)と反タクシン首相派(黄シャツ)によるデモが活発になります。

タイの赤シャツとは

タクシン派(赤シャツ)とは、反独裁民主戦線になります。国旗に使われている赤をシンボルカラーにして、軍部や官界を基盤とした富裕層や中間所得層が国政を支配する体制を、議会の解散や選挙で打破し民主主義を確率することを目的に活動。
タクシン元首相による「ばらまき政策」の恩恵を受けた、地方出身者が多くなっています。

ちなみに、タイの国旗三色の意味は、赤は「国家、よび国民の団結心」、白は「宗教」、青は「国王」を象徴しています。

タイの黄シャツとは

反タクシン派(黄シャツ)とは、民主市民連合になります。現国王・プミポン国王の生まれた月曜日の黄色をシンボルカラーにして、タクシンが王室を脅か存在であるとして、国王や王室を守ることを前提として活動。
タクシン元首相による「ばらまき政策」により税を上げられた富裕層・中間層、また、タクシンが何をしたかの情報を得ている都心部エリート層が多くなっています。

ちなみに、タイにおける曜日の色は、月曜日「黄色」、火曜日「桃色」、水曜日「緑色」、木曜日「オレンジ色」、金曜日「青色」、土曜日「紫色」、日曜日「赤色」になります。

デモは赤シャツも黄シャツも、それぞれの利益を考えてのことが大きいようです。民主主義という考え方なら、国民の7割が支持する赤シャツが有利とされています。しかし、地方には「タクシン元首相が何をしたか」などの情報を知っているものは少なく、「ばらまき政策」による恩恵を受けた人が、事実を知らずに支持しているという現実もあります。

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ここ10年のタイにおけるデモ

2006年軍事クーデター以降の抜粋してみました。以下になります。

2007年5月~
【赤シャツ】
・タクシン政権下で与党であったタイ愛国党に関して解党を命じられたことによる反発

2008年5月~
【黄シャツ】
・2007年下院選挙にてタクシン派勝利によるサマック・スントラウェートが首相就任、同年5月の上院選挙でもタクシン派勝利による反発
【赤シャツ】
・同年の黄シャツデモに対して活動開始

2008年8月
【黄シャツ】
・国営テレビ局や首相府等の政府庁舎を包囲、約4か月にわたり占拠。また、プーケット、クラビーの空港を占拠し、ハートヤイへの交通手段を遮断。

2008年9月
・バンコク郡ドゥシット区首相府を占拠した黄シャツと赤シャツが衝突をして、赤シャツ男性1名が死亡、約40人が負傷。

2009年2月
【赤シャツ】
・人民の力党解党と公民権停止の処置により失職したソムチャーイ・ウォンサワットの次の首相に就任した反タクシン派のアピシット・ウェーチャチーワに対して退陣と選挙実施を求め3万人が王宮前広場で反政府集会を開いた。首相の演説などを延期させた。

2009年4月
【赤シャツ】
・パタヤにてアビシット首相車列を襲撃。
・バンコクの戦勝記念塔やラチャウィティ通り、パヤータイ通り、スクムウィット通り、ディンデン通り等の道路の一部を封鎖。
・パタヤにて東アジアサミット開催ホテルへ乱入。
・バンコクの憲法裁判所に手榴弾を投げる。

2010年3~5月
【赤シャツ】
・アビシット退陣を求めバンコクで10万人規模の集会。
・バンコクの主要道路をバイクやトラックで行進し、都心道路に大渋滞。
・デモ参加者による国会包囲。
・タイコム社の通信施設に乱入、共同通信社の日本記者を含む10人が負傷。
・バンコク都内にて治安部隊との衝突により、日本人カメラマンを含む25人死亡、800人以上が負傷。
・和解失敗後、治安部隊が装甲車による強制排除開始。ラチャプラソン交差点付近やルンピニー公園付近で応戦したが、でも活動停止宣言により終息。
※2010年3月からのデモで91人死亡、1400人以上の負傷者になる。

2013年11月
・反タクシン派のステープ元副首相が反タクシン派政権の樹立を考えたデモ。インラック首相の辞任を要求。

※wikiより参照
※上記はかなり抜粋しております。

デモだけ注目してみると、タイにおける問題が浮き彫りにされているように感じました。日本とはレベルの違う格差社会の問題。ただし、2013年のデモは少し違うように思えますが。

まだまだ落ち着きそうもないタイ

相続税の無いタイにおいて、格差社会の問題は簡単に解決できないと思われます。タイのお金持ちはずーっとお金持ち。ここにメスと入れるとしたら、それはそれは、いろんな事が起こりそうです。

ただ、タクシン元首相の政策によって、贅沢を覚えてしまった地方貧困層がこのまま静かにしているとは思えません。国にとって重大事件が起こったら、蓄積されていたものが爆発するような気も。これから数年、タイをじっくり見ていきたいと思います。

~thaiuniおっさんのつぶやき~
タクシン元首相のばらまき政策は貧困層には嬉しい限り、ただし、その財源はどこから?が問題なんですよね~。私としては、当時のタクシン政策にあった風俗店取締とナイトスポット深夜営業禁止が。。反対です。笑

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